第一章:血の雨と下人

ドォン……

夜空が呻き声をあげたかのような雷鳴が、羅生門を包み込むように響いた。

下人は、まだその場にいた。

老婆の白髪を鷲掴みにし、仁王立ちの姿勢のまま、視線は何も映さぬように暗黒へ向けられていた。
先ほどまでの「逃げる」という選択肢は消え失せ、そこにあるのは――
ただ、己の決断を肯定したいという、黒く濁った自意識。

(……オレは、生きるためにやった。何が悪いッ!)

雨は止まぬ。いや、より激しさを増している。
羅生門の屋根から滴る雨水が、まるで血のような粘度を帯びて下人の頬を伝う。
その瞬間――老婆の身体が、あり得ぬ方向に折れ曲がった。

ギギ……ギギギギ……!
骨が軋む音。肉がうねる音。
老婆はゆっくりと顔を上げた。
その眼は、もはや「老婆」ではなかった。

「――あァ? ワシの髪を、引っこ抜いたのは……貴様か?」

その声は、低く濁っていた。地獄の底から響いてくるかのように。

ドドドドドド……

見えぬ力が、羅生門を満たしていく。空気が震える。

(な、なんだ……この圧……!)

その時、老婆の背後に“それ”は現れた。

漆黒の着物を纏い、全身が干からびた皮膚に覆われた異形のスタンド。
口からは延々と髪の毛が伸び、無数の手が蠢いている。

「これは……まさか……!」

老婆の声と共に、名が響く。

スキン・アンド・ボーン(Skin and Bone)……喰らえ、“下人”ッ!!」

スタンドの手が一斉に伸び、下人の胸元を掴みにかかる!

ギャァァァァァァァァァア!!

下人は咄嗟に後方へ跳び退いた。
だが、右手の感覚が――ない。

見ると、腕の皮膚が“消えて”いた。まるで誰かに剥がされたかのように。

「う、うそだろ……皮膚が……!」

「このスタンドはな、“人の肉”を“記憶”として食らう。
 その肉に宿っていた力、記憶、執念――すべてが、ワシのものになるんじゃ」

老婆の顔に、禍々しい笑みが広がる。

下人の背筋に、氷のような悪寒が走った。
だがその時、彼の背後にも新たな“像”が現れる。

燃える炎のようにゆらめき、細く鋭い両刃の槍を持ったスタンド。
目の奥で、赤く燃える決意の火が灯っていた。

「――オレのスタンド、イン・ザ・フレイム(In The Flame)
 一瞬だけ……“決断”を止める。相手の“次の行動”を封じる力だ」

ドドドドド……!

炎のスタンドが前に出ると同時に、空気が一変する。
老婆のスタンドが突進する寸前、動きがピタリと止まった――!

「今だッ!!」

下人は地を蹴り、老婆に肉薄する。
だが――老婆の表情は、笑っていた。

「甘いッ!」

ズバァァッ!!

老婆の口から、新たな手が飛び出し、下人の左肩を引き裂く!

「ぐああああああああッ!!」

血が飛び散る。だが、その血は――燃えていた。

「な、なんじゃと……?!」

「オレのスタンドのもう一つの能力……“燃える血”さ。
 奪った肉体に、“焼印”を残す……!二度は使えねえッ!」

老婆の身体が、内側から発火する!

「ギャアアアアアアア!!」

だが、それでも老婆は笑っていた。

「……これが、“喰らう者”の覚悟じゃ……坊や……!」


第二章:炎と骨のカタルシス

雨は止まぬ。
だが、羅生門の天井裏には、炎のように揺らめく光が灯っていた。

燃える血が老婆の体表を焼き、皮膚は炭のように黒ずんでゆく。
にもかかわらず、老婆は倒れぬ。むしろ、体が巨大化していた。

「うふふふふ……ワシの“スキン・アンド・ボーン”は……喰えば喰うほど強くなるんじゃよ……!」

「なにっ……!?」

老婆の足元から、羅生門の死骸たちが蠢き始める。
干からびた死体たちが、老婆のスタンドに取り込まれ、全身が鎧のように強化されてゆく。

「この門に積まれてきた屍……疫病で死んだ者、飢えた旅人、捨てられた童たち……
 そやつらの“肉の怨念”を、ワシは吸い上げてきたのじゃ。羅生門こそが……ワシの“畑”じゃァッ!!」

ドオオオオオッ!!

老婆のスタンドが変形し、まるで骨と皮で構成された巨人のような姿に変貌した。

下人は肩を押さえながら後退する。
だが、彼のスタンド「イン・ザ・フレイム」はその背後に、確かに立っていた。

(逃げるか? いや……)

(オレは……もう“選んだ”んだ。生きるために。
 お前が“生きるために髪を抜く”のなら……オレは“生きるために戦う”だけだ!!)

スタンドが再び燃え上がる。地を割るような咆哮とともに、槍が老婆のスタンドに突き刺さる!

だが――

「うふふ……ワシの肉を突いてもムダじゃ……!」

槍は確かに命中したはずだった。しかし、老婆の体はどこまでも“肉”であり、“喰らった他人の皮膚”だった。

「ならば……!」

イン・ザ・フレイムの目が、ぎらりと光る。

「――“決断を止める”!」

バシュゥゥゥン!!

老婆のスタンドが構えた拳が、止まる。わずか一瞬――だが、十分だ!

「この瞬間に、お前の“再生の決断”を……燃やし尽くすッ!!」

槍が、老婆の胸元を貫く。そしてその刃の先端で、何かが燃えた。

老婆の目が見開かれる。

「そ、それは……ワシの……“選択”……!? やめろッ……やめろぉぉぉおおおお!!」

炎が、老婆の中の“意志”を炙り出していく。
――貧しさに打ちひしがれ、
――生きる術を探し、
――そして他人の肉を喰らうことに慣れてしまった“選択”を。

「下人よぉぉぉ……お前もワシと同じじゃろが……!!
 お前も、“喰らう者”になる運命なんじゃァァァアアアアアア!!!」

下人は静かに呟いた。

「そうかもしれねぇ……でもな、“運命”なんざ、オレが決めるッ!」

イン・ザ・フレイムの槍が、老婆の胸に深々と突き刺さる。
その瞬間――

ドォンッ!!!

天を裂くような雷鳴と共に、羅生門の屋根が崩れた。
瓦礫と共に老婆のスタンドが崩れ落ち、黒い霧のように空へと散っていく。

そして、雨が止んだ。